インターンの先輩から
溝上希
広島大学医学部
地方での学生生活に漠然とした焦りを感じているけれど、実際に何をすべきかわからないという問題を抱えている学生は多いのではないでしょうか。特に地方大学医学部に通う大半の学生は、小さい頃から地元の大学の医学部への入学が正しいと信じ、立ち止まって将来について考えるという選択に気づかないまま、入学して初めてその敷かれたレールの閉塞感や物足りなさを覚えるのです。
私もそんな学生のうちの一人でした。
広島で生まれ、広島大学附属小学校・中学校・高等学校、一年浪人を経て、広島大学医学部医学科へと進学し、地元で悩み続ける私にとって、上昌広先生とのお会いした時の衝撃を今でも覚えています。
上先生との出会いは、私の所属している学生団体MNiST(画像診断センターMNESご講演のもと、「学生の目線から医療、そして世界をより良いものにしたい」をモットーに活動している学生団体)が主催した講演会への参加です。
「異なる文化に触れなさい、優秀な人の元で学びなさい。」という、ご講師である上先生のお言葉は、その時の私に強く刺さるものでした。
次の日すぐに上先生に「研究室に伺いたい」との旨を伝え、快く承諾していただき、医療ガバナンス研修所へのインターンシップが決定しました。
医療ガバナンス研究所のインターンシップでは本当に多くのことを経験させていただきました。
学術雑誌Natureのレター投稿、上先生への取材の同席、東京の真ん中にあるナビタスクリニック新宿の外来診療見学、福島県いわき市のときわ会常磐病院の見学などインターンシップに行かなければ触れることさえできなかったことがたくさんあります。同世代のインターン生との何気ない会話からも刺激を受けました。
上先生は、ただの学生である私にも、医学界だけでなく政界や経済界の一流の方々に会わせて下さり、各分野における日本や世界の変化や流れを担うための「いろは」に触れさせていただきました。
また、上先生をはじめ、医療ガバナンス研究所の方々は、何もわからずに飛び込んだ私を優しく迎え入れてくださり、惜しみなく自身の経験や価値観を教えてくださったり、私の将来について相談に乗ってくださったりしました。
また、東京へインターンシップに行った期間だけでなく、広島に帰った後も、「元気にしていますか。」「文章を書いてみませんか。」「鹿児島へ自顕流の稽古に行きましょう。」と、上先生や研究所の皆さんはお忙しい中いつも気にかけてくださり、そのような面からも本当にこのご縁を大切にしていきたいと思うばかりです。
「行きたいです。」「やりたいです。」を学生のためを思って損得勘定無しで一緒に叶えてくださる大人の方がこんなにもいらっしゃることを私は初めて知りました。地方大学でのんびり過ごすことももちろん悪くはありませんが、異なる文化圏に飛び込む少しの勇気を出してみてはいかがでしょうか。
田原大嗣
東京大学法学部
2019年7月31日、まだ高輪ゲートウェイ駅が開業していなかった頃、私は研究所にいました。
国家公務員の就職活動に失敗し途方に暮れていた私に、大学剣道部の先輩で、以前より剣道雑誌の編集などを通して交流のあった上昌広先生より、「一度、遊びにおいで」とのお誘いがあったのです。
失敗の理由もわからず、資格でも取ろうかなどと迷走していた私に、上先生はただ一言、「相馬市にインターンに行きなさい」とおっしゃり、その日のうちに、相馬市の立谷秀清市長に私を紹介してくださいました。
また、相馬市に行くまでの日々、研究所でのインターンに参加することとなりました。最初に言い渡されたのが、研究所の周辺、高輪地区の歴史を調べ、新聞に投書すること。次に、私のルーツでもある熊本県の歴史を調べ、ネットメディアに寄稿すること。
こうした、「国内各地の歴史や地理を調べ、具体的に文章に起こす」行為で、視野を広げ、表現力を鍛えることができました。
そして、12月の1ヶ月間にわたり、福島県相馬市役所、相馬中央病院という「現場」でのインターンに参加させていただきました。
「相馬野馬追」の時代から続く長い歴史の中で、相馬市では「伝統」と「柔軟さ」の両者が培われ、現在相馬市に住む人々にもそれは確かに受け継がれている、ということを、実際に現場に足を運び、そこにいる方々と交流することで存分に学ぶことが出来ました。
これは、東京で「真面目」に、主体性もなく法律を学ぶだけでは到底得られない経験でした。
(相馬市の詳細なレポートは、以下URLをご覧ください。
→ ① https://japan-indepth.jp/?p=49925 ② https://japan-indepth.jp/?p=49932 )
以上のような経験を積んだことで、国内各地のコミュニティに息づく人々の生活を、よりリアリティを持って理解し、公務に対する思いをさらに強めることが出来ました。
相馬市での経験はじめ、一連のインターンで得た成長を生かし再チャレンジした国家公務員の就職活動で、私は無事第一志望の省から内定をいただき、4月から社会人としての生活を始めます。
研究所では、まず「事実から、具体的に語ること」「現場に実際に足を運び、一流の、第一線の人と交流すること」といった行動の指針を提示していただき、さらに、それを実践する上での最大限の後押しをいただきました。
私にとって、研究所でのインターンは、「(医学生か否かを問わず)若者に『縁』をもたらし、殻を割ってくれる場」でした。
これからも、インターンで学んだことを肝に銘じ、公務の道を邁進していこうと思います。
宮地貴士
秋田大学医学部
私が研究所でインターンを開始したのは医学部5年生の4月からです。それまでは、自ら代表を務めるアフリカ・ザンビア共和国での医療支援プロジェクトに取り組んでいました。
無医村に住む住民の健康を支えるために診療所の建設を進めていましたが、現地パートナーとの軋轢などがあり、事業は宙ぶらりんな状態になっていました。
インターン初日に行われた上先生との対談。当時の私は、ザンビアでの事業がうまくいかないことに対して政治の腐敗や医療制度の問題を取り上げるなど、上滑りな議論をしていました。
上先生は私の無知を叱った上で、佐藤慎一さんを紹介してくれました。元財務省事務次官としてB型肝炎訴訟や東日本大震災後の復興に向けて最前線で国を動かしてきた方です。
佐藤さんは政策決定者の論理に終始することなく、当事者が抱える課題に向き合っていました。「長年、税の現場で働いていて日本人はなぜ税金に対して根強い反発があるのか、ずっと違和感があった。日本人の価値観に腹落ちする税制とは何なのか。歴史をさかのぼって明らかにしたい」。私は、医療提供者側の視点からザンビアのプロジェクトを進めていたこを大きく恥じました。
佐藤さんとの出会いから私は当事者の視点を第一に考える重要性を学びました。将来、どんな場所で働くことになっても、その土地に住む住民のニーズを掴み、最適な医療サービスを提供していきたいです。そんな「世界で戦える臨床医」を目指して、これからも研鑽を積んでいきます。
小坂真琴
東京大学医学部
私は、高校生の時に当時の東大医科学研究所にあった研究室に伺ったのが初めてでした。高校時代に2,3度伺ったのち、大学で医学部に入ることが決まってから再びお世話になっております。
研究所でのインターンでは、論文執筆のためのデータ収集のお手伝いや、自分でデータを作成して考察を文章にまとめる作業を行うと同時に、勉強会に参加しています。
一昨年、都道府県別の東大合格者数について、歴史的な考察を交えながら分析した文章は、多くの「滋賀」関係の方に読んでいただき、それぞれの視点から様々な反応があり面白かったです。すでに世の中にオープンになっているデータであっても、それをどんな視点から考察し、どんな仮説を立てるか次第では、意味を持ち、面白くなることを実感しました。
普段大学で授業を受けているだけでは会うことがなかったような、多様な業種で活躍している方々にお会いする機会があるのも大きな魅力です。一昨年福島の野馬追に伺った際には、相馬市の立谷市長をはじめとする多くの方にお会いし、当時中学生であまり知ることのなかった東日本大震災について、改めて学びなおすことができました。
また、最近であれば風疹・麻疹のワクチン接種など、世の中で今まさに話題になっている分野の研究や課題に取り組める点も面白いです。例えば今年は、福井で在宅医療を行っているオレンジホームケアクリニックでインターンをさせていただき、研究所の先生方に指導いただきながら、ケースレポートのような形で論文にまとめました。これから日本中で伸びていく在宅医療の分野に関わりつつ、自分の出来る範囲でその記録をまとめて発信する練習になりました。
大学の医学部の授業は、多くが治療のための学びですが、医師になってからの人生ではそれ以外の社会の動き方や世界の流れも無視できません。その部分に興味がある方に、ぜひインターンをお勧めします。
妹尾優希
スロバキア国立コメニウス大学医学部
私は、東欧の国、スロバキア国立コメニウス大学医学部にて、英語で医学を学んでいます。毎年2回、大学の夏期と冬期休暇を利用して、医療ガバナンス研究所にて上昌広先生をはじめとする、様々な分野で活躍されている先生方にご指導いただきながら医学論文の書き方を学んでいます。
最初に研究所に訪れたのは、2016年8月の大学1年生の時です。ナビタスクリニック院長の久住英二先生がシェアされていた、研究所で学ぶハンガリーの医学生の文章をFacebookで目にし、私も記事を書きたいと思い連絡したことがきっかけで研究所にご紹介いただきました。
研究所を訪れたばかりの頃は、様々な場所を訪れた後に訪問記を新聞の読者投稿欄や、研究所のメールマガジンMRICへ投稿して文章を書く練習をしました。最初に書いた記事は、浜通りで医療支援をする坪倉正治先生にご案内いただいて、福島での診療や検査の様子を見学した時のものです。今まで「一般論を書かないファクトベース」や、読み手のことを考えた文章を書いた経験がなく、何度も辛抱強くご指導いただきながら3ヶ月ほどかかり1500文字程度の体験記を書き上げることができました。
初めて、論文執筆のお手伝いをさせていただいたのは、女性の貧血対策の研究に取り組まれている山本佳奈先生の、JAMA (Journal of the American Medical Association)における、産科系の論文の掲載が増加している傾向を分析した論文です。Excelの使い方もよくわからず、EndnoteやPubmedは存在すら知らない中、山本先生やいわき市の常磐病院で勤務されている尾崎章彦先生にスカイプを通して丁寧に教えていただきながら、論文ができるまでの流れを勉強させていただきました。2018年10月にCurerusという医学誌に掲載され、自分の名前を連ねさせていただいた時は、本当に嬉しかったです。それから、様々な論文のお手伝いをさせていただき、学生でありながら2019年現在ではPubmedに自分の名前が載っている論文が3つもあることは自慢です。
統計ツールの使い方、英語と日本語の両方での文章の書き方など、多方面で少しずつできることが増えている一方で、始めたばかりの当初から作業スケジュールの管理をすることが苦手で、周囲の先生方に迷惑ばかりかけてしまっています。つい最近も、9月にスロバキアへ戻るまでに投稿しなければならなかった論文で、期限最終日までの2日間、常磐病院で勤務される瀧田盛仁先生に深夜までお付き合いいただくこととなってしまいました。タスクマネージメントとスケジュールの管理が今後の課題です。
学生の身では中々得ることのできない、貴重な勉強の機会に溢れる環境にいることに感謝し、一つずつ丁寧に研鑽を積んでいきたいと思います。
村山安寿
東北大学医学部
私が初めて知り合いの方から上昌広先生を紹介してもらったのは今から4年前のことです。その頃はまだ私が高校生であったため、大学に入るまでは研究室に数回しか行っていませんでした。しかし、今年の春に上先生から機会をいただき1週間ほどインターンとして研究所に通わせてもらいました。
医療ガバナンス研究所でインターンをして最も良かった点は、医療に限らず各業界の第一線で活躍している方とお話しする機会があったことです。一般的に医学生は学業で忙しく、大学の授業の関係から他学部の人や自分の興味がある分野の人以外と接する機会が少ないです。そのため自分と同質な人たちと話すことが多くなり、視野が狭くなってしまい易いと思います。しかし医療ガバナンス研究所では医療者に限らず様々な世界で活躍している方々や、未来の医療を見据え医療を良くしようと活躍されている方々とお会いし話すことができました。私はこのときに、自分の視野の狭さや、医療界の様々な問題について気づき疑問を持つようになりました。
私が考えるに、現在医療の世界は時代の過渡期に位置しています。今までの時代は大学の先生や先輩の言うことを聞いて従っていてもそれなりに生きることが出来たかもしれません。しかしこれからの時代は自分の頭で考え行動する力がなくては生きていけない時代になると私は考えています。
医療ガバナンス研究所でのインターンは、大学での受動的な学びとは大きく異なった能動的な経験であり、自分の頭で考え行動することの重要性に気づくことができる場所でした。
吉田いづみ
ハンガリー センメルワイス大学医学部
私はTeam Medicsという学生団体で久住英二先生をご紹介いただき、2016年より医療ガバナンス研究所で上昌広先生の元でインターンをさせていただきました。その頃の私は、炎症性腸疾患を発症し、大学休学を余儀なくされていたため、「もう大学を辞めて日本に帰ろうか」とまで考えており、医療者になることを半ば諦めていた時期でもあります。そんな時にこの研究室と出会い、この病気にかかったことさえも前向きに変えてしまう先生方のご指導にどんどん魅せられていきました。
もちろん毎日のご指導は厳しいものも多く、自分の至らない点に反省することも多かったですが、その中でも特に「たくさんの一流の人と会い、多くの本を読んでとにかく書いて発信すること」を学びました。毎週のように色んな所に行かせていただき、そこで学んだ経験を記事に書く、そしてそれによって多くの方と繋がることができ、結果として連載を書かせていただくまでになりました。
また、復学後も夏休み2ヶ月を使って相馬・南相馬を拠点にご活動されている坪倉正治先生にご指導いただき、社会人としての礼儀から論文の書き方までご指導いただきました。その短期間で福島だけでなく、大分や(国外では)ベラルーシまで同行させていただき、医者として、研究者として、そして人として、多くのことを学ばせていただきました。
最後に、よく官僚や大学教授が「若者は宝だ」と言っているのを耳にしますが、実際、彼らがしていることは本当に私たちのためになることなのでしょうか。私はそうは思いません。そんな自分の利益ばかり考えているおじ様方より、個々に対応してご指導くださる研究室の先生方こそ、私たち若者に必要な真の指導者であり、自分の人生を豊かにするために必要なのではないかと考えます。まだまだ未熟者の私ですが、今の自分があるのは医療ガバナンス研究所の皆様のおかげです。このご縁に心から感謝致します。