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医学部の地域枠と山口高等中学校

 今朝、以下の報道がありました。厚生労働省が医師不足対策、偏在是正のために、都道府県の権限を強化しようとしています。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20171030-OYT1T50000.html…

 記事によれば「医学部入学定員に「地元出身者枠」を設けるよう、都道府県が大学に要請できる」、および「地域の研修病院の定員を決めたりできる」ようになるみたいです。  このような方法は短期的に医師の偏在を改善するかもしれませんが、長期的には弊害が大きいとかんがえます。

 医学部を志望する高校生は多いのに、定員を増やすことなく、一部の大学の入学者を地元優先にすれば、実力のない学生が多数入学してきます。  さらに、卒業後は医師不足地域に派遣されます。あまり議論されませんが、医師不足の日本で病院は医師確保を巡って競争しています。だから、経営経験のない大学教授を院長に迎えます。医局員を招聘するためです。  実は、医師不足地域とは、医師獲得合戦で負けている地域なのです。それなりに問題がある場合が多いです。地域枠の学生を、卒後、このような病院で勤務させれば、実力もつきません。長期的には、医療レベルは益々低下します。

 競争を阻害することが、地域を停滞させた事例をご紹介しましょう。

 明治時代、我が国には高等中学校という教育機関がありました。高等中学校とは、聞き慣れない名前ですが、明治19年の中学校令により、全国に7つ設置された高等教育機関です。全国を5つの区域(当初、東京、大阪、仙台、金沢、熊本)に分けて、各地に帝国大学(のちの東京帝大)に続く、「カレッジ」のような教育機関を設置しました。

 高等中学校は、本科と専門科に別れていました。本科は、帝国大学に進学するための予備教育を目的とし、専門科は医学、法学、工学などの専門科目を教えました。

 実は、この5つの高等中学校以外に、特別に2つの高等中学校が設けられました。それが山口高等中学校と鹿児島高等中学校です。何れも旧藩主である毛利家、島津家をはじめとする地元有力者が設立資金を負担することで、特例として設立が認められました。薩長の地元だけ、特別に官立の高等教育機関が設立されたことになります。山口高等中学校の場合、他の高等中学校と異なり、防長教育会という地元の団体が実質的な運営権をもっていて、学生は、ほぼ全員が地元出身者という状態でした。

 山口高等中学校の目的は、地元の子弟を帝国大学に進学させることでしたが、地元の子弟の優先入学が行き過ぎたのでしょうか、学校のレベルが低下します。その後、山口高等中学校は、財政難もあり、1902年(明治35年)に、官立の山口高等商業学校に吸収されます。山口帝国大学にはなりませんでした。

 一方、鹿児島高等中学校は山口県のような対策はとりませんでした。その後、第七高等学校へと発展します。対照的な展開です。このあたり、秦郁彦氏の『旧制高校物語』に詳しく紹介されています。ご興味のある方はお読みください。

 今回の記事を解釈するにあたり、山口高等中学校の顛末は、その是非を考え得上で示唆に富みます。私は、学校の入学資格に、「大人の思惑」は入れるべきではないと考えています。

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