
トロント大学 薬学部・経済学部 2年
森本 理瀬
研究所にきたきっかけ
私が在籍するトロント大学は、夏休みが4月から8月までと非常に長いです。学期中は授業やテストに追われ、課外活動をする時間があまりありません。そのため、多くの学生がこの期間を活用して、さまざまな課外活動に取り組みます。
私は大学で薬学と経済学を二重専攻しています。授業を通じてそれぞれの知識を学ぶことはできましたが、この二つが現代社会でどのように結びついているかを学ぶ機会はありませんでした。そこで、その関係性を実際に学べる経験を探そうと思い、オンラインで情報を調べ始めました。
調べていく中で最初に見つけたのが医療ガバナンス研究所でした。研究所の名前や理念が、自分の学びたいテーマと一致していると感じたため、インターンに応募しました。
インターンでの出来事
一ヶ月弱にわたるインターンを通して、さまざまな貴重な経験をしました。
特に印象に残っているのは、インターンが始まってすぐの福島訪問です。初日に上先生と初めて対面した際、診療を終えて研究所に戻られた先生が笑顔で迎えてくださいました。これからの活動への期待が高まっていたところ、突然「今週末、いわきに行くけど、一緒に来る?」と声をかけられました。いわきには縁もゆかりもなく、突然の誘いに戸惑いましたが、貴重な機会だと思い、同行を決意しました。
訪問前に東日本大震災や福島県立大野病院について調べ始めると、自分の知識のなさに衝撃を受けました。世の中にはまだ知らないことが数えきれないほどあると痛感し、このインターンを通じてできるだけ多くのことを学ぼうと決意しました。
いわき訪問では、研究所でインターンをしている先輩とともに、地元の方々に案内していただきました。現在も除染作業が続く大野病院周辺や、新しい建物が立ち並ぶ大熊町役場周辺などを訪れ、被災地の今を自分の目で確かめることができました。実際に現地を訪れ、見て、考えることの大切さを改めて実感しました。
訪問後は訪問体験記の執筆に取り組みました。文章を書く経験が少ないうえ、海外での生活が長く、日本語で文章を書く機会がほとんどなかったため、最初は難しく感じました。その中で上先生から「読み手を意識することが大切」とアドバイスをいただきました。
自分の体験記を誰に読んでもらいたいのか、何を伝えたいのかを考えた結果、福島民友の読者投稿として掲載を目指すことにしました。そして、「福島の復興は世界の参考に」という海外大学生としての視点で記事を書き、無事に掲載していただくことができました。
インターンを通して学んだこと
インターンを通じて、さまざまな貴重な学びがありました。その中でも特に人的ネットワークの重要性を実感しました。
今回のインターンでは、医療関係者、研究者、メディア関係者など、多様な分野の方々とお会いし、お話を伺う機会がありました。異なるバックグラウンドを持つ方々との会話を通じて、自分にはなかった新しい視点や考え方を知ることができ、将来を見つめ直すきっかけになりました。
私はもともと薬剤経済学に関心があり、大学では薬学と経済学の二重専攻を学んでいます。しかし、インターン中に東京大学医科学研究所の真下教授の研究室を訪れたことで、ゲノム編集や細胞療法、そしてその経済的側面にも興味を持ち始めました。その影響で、現在は大学で遺伝子学の授業も履修しています。
これまでの私は、自分の知識や考えに縛られ、視野を広げる機会を持てずにいました。その結果、自ら将来の選択肢を狭めていたことに気づきました。しかし、上先生の人脈を通じて、多くの出会いが生まれ、新たな視点から「自分は将来何をしたいのか」を考えられるようになりました。
学び続け、世界で活躍し続けるためには、人的ネットワークが欠かせない。
このインターンを通して、その大切さを強く実感しました。
最後に
このインターンを通して、未知の世界に触れたり、これまで関心を持たずにいたことを深く知ったりと、多くの新しい学びを得ることができました。研究所では日々さまざまな方と出会い、お話を伺う中で視野が広がっていくのを実感しました。授業では得られない学びを、毎日のように体験できたことはとても貴重な経験となりました。今後も多くの人と関わりながら自分の人脈を広げ、成長し続けていきたいと思います。
この貴重な機会をくださった上先生をはじめ、研究所の皆さま、訪問先でお世話になった方々に心から感謝しています。本当にありがとうございました。

東京大学法学部
梅田 綾人
〈1〉医療ガバナンス研究所に来たきっかけ
私がこの研究情報に来たのは、法科大学院の先輩でもある原田眞道さんが紹介してくださったことがきっかけです。原田さんは学部生時代から研究所に出入りする古参の学生です。優秀な先生がいらっしゃるから君も勉強しないか、とお誘いしていただいたことを契機に私も研究所に伺う運びになりました。
〈2〉インターンを通して
簡単には回答を教えない
上先生は答えを簡単には教えてくれません。「〇〇について、君、わかるかね」とよく課題を出していただくのですが、どの課題も端的かつ鋭い質問であり、中々すぐには回答できないものばかりです。そこで私が上手く答えられないでいると、先生はすぐに答えをくれるわけではありません。私が回答を導き出すための簡単なヒントをくださります。これがまた絶妙で、くださるものはどれも、"回答を簡単に導き出すため"のヒントではなく、"思考の深化を促すため"のヒントばかりなのです。おかげさまで、研究所に出入りする前と後とで、物事への考え方に対して鋭敏になったと我ながら思います。しかしながら当時は、早く回答を知りたいとはやる気持ちがないわけではありませんでした。しかし今思うと私の成長を想って敢えて、遠回りの道を示してくださっていたのだな、と思います。
政治の最前線に触れて
上先生にお声掛けしていただく形で、政治家の方が登壇される勉強会に顔を出す機会に多く恵まれました。与野党様々な党派でご活躍されている方々からお話を伺う中で、マスメディアやSNSで報道・紹介されているお姿とはまた違う、いわば"本物のお姿"に触れることができました。一見世間では愚案だと批判されている施策であっても、実はこういう背景があって、と直に教えていただく機会に多く恵まれる中で、いかに自分が常日頃"ファルター"を通して、情報を得ているのかを知るとともに、一次情報に触れることの大切さを学ぶことができました。一国民として、私達は政治家達をしっかりと吟味し、時に賛同し、時に非難することで、正しい国へとしていく義務と権利があります。先述した通り、私たちが得る情報は大概の場合"フィルター"を通しています。なんでもネットで情報が手に入る今だからこそ、何が正しか何が間違っているのか、客観的に物事を見る力が問われていると、肌身を持って実感させていただく機会を多く得ることができたと思っています。
知らない世界に触れて
去る2024年12月、現場からの医療改革推進協議会(現場シンポ)にスタッフとして参加させて頂きました。このシンポジウムは、最前線でご活躍されている医療関係者の皆様の常日頃のお仕事についてや、皆様が仕事を通してお考えになられたことについてなどを発表する、年に一度のイベントです。イベント名からもお察しの通り、登壇者のほとんどが医療関係者の方々ですので、法学部の私は違う畑の存在です。しかしながら、全く関係ないかというとそうではありません。医療と法律は密接に関連しており、実際実際の医療現場と法的制約の話を取り上げる登壇者の方もいらっしゃいました。一見関係のない医療と法律ですが、どちらも人を守ろうとするが故に、衝突することもしばしばあり、バランスをとることはしばしば難しいことを、現場シンポを通して改めて実感いたしました。
〈3〉最後に
上先生と出会う前の私は、将来の就職先として、何か国家のために役立つ所を選びたい、と漠然ながらも考えていました。しかしながら、どのような職がベストなのか、また今身につけるべき見識はなんなのか等全く検討もつかず、暗中模索の最中でした。そんな中偶然門を叩くことになったのが上研究所でした。研究所に出入りする中で、上先生をはじめ、豊富な経験と実力をお持ちである政治家や法人の代表、その他多数の方々にお会いする機会、また相談させていただく機会に恵まれたのは、人生のターニングポイントだった、と今振り返っても強く思います。もうすぐ私は大学を卒業し、社会人となります。社会人になるということは、テイカーではなく、ギバーにもならねばならぬということ。既に社会でご活躍されている優秀な方々の背中を一生懸命追うと同時に、未来ある後輩達の手本となれるよう、学びの場・思考を深める場を大切にして、より一層精進してまいりたいと思います。

東京大学教養学部前期課程理科三類 1年
清水 敬太
私は(まだ)何もしていないのだ ~現場からの医療改革推進協議会シンポジウム
深夜の都内を走る山手線に揺られながら、私に残っていたのはふたつの相反する感情だった。ひとつは高揚感。もうひとつは自分への反省であった。
昨年の11月16日、17日にわたって、「第19回現場からの医療改革推進協議会シンポジウム」に学生スタッフとして参加する機会を頂いた。4月に東京大学に入学し、授業にもそろそろ飽き飽きしてきた時期である。教養課程の授業は必ずしも面白いものではない(そもそも、皆一律で学ばねばならない内容を、大人数授業で面白く展開するというのは至難の業だろう)。
思えば大学に入る前の私は、大学に入るまでにしか目が向いていなかった。大学に入った後のことを自分なりに考えていたつもりだったけれど、どこかで、大学に入れば自動的に何かが切り替わると思い込んでいた。しかし大学で半年あまりを過ごし、どうやらそれは本当に単なる思い込みでしかなかったということに気づいてしまっていた。しかし実際に行動して何かを変えようとすることはしていなかった。もしかしたら、薄々気づいていた、「大学は広い世界ではあるけれど、思ったよりも狭い」ということを確信するのが怖かったのかもしれない。
高校の先輩であり、東京大学の先輩でもある坪倉正治先生に、医療ガバナンス研究所の理事長である上昌広先生を紹介して頂いたのはそんなときだった。「現場からの医療改革推進協議会のシンポジウム」に学生スタッフとしてお誘いいただき、知り合いがほとんどいない緊張を胸にしながら、シンポジウム会場である建築会館ホールに足を踏み入れた。上先生としっかりと顔を合わせて話をするのはその日が初めてだった。
強烈だった。なにしろ第一声が「灘から東大理三なのか。そういうやつが一番バカになるからな」である。上先生から発される言葉は私がこれまで薄々気づいていたのかもしれないけれど目を背けてきたことを、いちいち正確に突いてきた。しかし、その一見厳しい言葉は私にとって福音だった。
理科三類に進学してある意味で浮足立っていた私に対して、私がまだ何も成し遂げていないのだ、大学入学はゴールではなくあくまでひとつのスタートにすぎないのだ、ということを的確に指摘してくれる大人は多くない。上先生の言葉に、そのことを痛切に感じさせられたのである。
その後のシンポジウムを手伝い、ありがたいことに登壇された皆さんのお話を聞かせていただいたのだが、思い返せば上で書いた上先生の言葉が補助線となり、また伏線ともなっていた気がする。シンポジウムで話されていた方々は皆、自分で何かを考え自分で行動する、ということを繰り返してこられた方々であった。
シンポジウムの中で印象的だったお話をひとつあげるのであれば、たとえば相馬市の立谷秀清市長である。東日本大震災の際の災害対応について、徹底的にご自身のナマの経験をお話しになっていた。実際に何が起こって、何が問題となり、どのようにその解消に努められたのか、などの(変な言い方になるが)お話は、いわゆる「べき論」を離れた話にしか持ち得ない凄みを伴っていた。
また「大往生」と題された最後のセッションでは、医師の皆さん以外にも、僧侶である霜村真康和尚や、実際にお母様の死を経験された小林秀美さんなど、様々な方がお話しになっていた。そこでは徹底的に個の経験が扱われていた。
ミーハーな私は、つい「エビデンス」とか「統計」とかの言葉にクラっと来てしまう。確かにある種の判断基準の上ではnの大きさは重要かもしれない。しかし落ち着いて考えてみれば、「平均的な」問題、「平均的な」人などいうものは存在せず、個々人にとって問題になるのはすべてその人にとって個人的な問題であって、そういった問題はつねにn=1の領域で、「現場から」立ち現れるのである。その当たり前のことを思い出させられた。
私がシンポジウムで感じたことを2つ言葉にまとめると、次のようになる。
ひとつ。単なる「論」は多くの場合、空虚である。論を論ずるために論じ、論ばかりが現実から遊離していくような論はどうしても軽く聞こえる。そのような「論」ではなく、論と行動とが尽きせず結びついているような論にこそ価値があるのだと学んだ。
ふたつ。あるいは、後ろ向きの「リアリズム」もまた空虚である。日本は人口が急速に減るだろう、医療に問題は山積しているだろう、それをネガティブに捉えるだけでは単に賢しらなだけだ。シンポジウムで話されていたことはそうではなかった。参加者の方々は、それぞれの問題意識をもとにしながら、何かを少しずつ良くするために動いていらっしゃった。それは一種の「夢」とか「理想」「ユートピアニズム」と形容しても構わないのかもしれない。とにかく前を向いていた。
シンポジウムではたくさんの興味深い話を学んだ。たくさんの興味深い方々と直接お話をさせていただくこともできた。そのことに高揚感を覚えた。
しかしシンポジウムが終わり、山手線で一人になったとき、そんな自分が恥ずかしくなった。
私はまだ、何もしていないのだ。そのことを忘れちゃいけない。すでに何かをしてきた人たちは、何かをしてきたから素晴らしいのだ。しかし私はまだ何もしていない。何かをしてきた人たちと話をしたということだけで、自分が偉くなったと勘違いしてはならない。このままいけば、上先生が言うところの「灘から東大理三の典型的なバカ」まっしぐらだ。
そして、上で「論」の空虚さを、賢しらさを自らに戒めておきながら、この稿がまさにその空虚で賢しらな「論」となりかねないような危うさを孕んでいることをまた、恥じたい、反省したいとも思う。ここで私がやっていることは、「論」だけ語っているのではないか? 現実から遊離してしまってはいないか? 私はまだ何もしていないのに自分が偉くなったと勘違いしていたら、それはある意味で「後ろ向きの「リアリズム」」の変奏に過ぎないのではないか?
私はまだ何もしていない、そのことをきちんと見つめたい。同時に、それを悲観的にとらえず、行動することの足がかりとしたい。この決意表明にて、「第19回現場からの医療改革推進協議会シンポジウム」の体験記の筆をおくことといたします。
MRIC by 医療ガバナンス学会 (2025年1月14日 09:00)より





Besant Hill School of Happy Valley 11年生
櫻井 裕太
インターンを終えて
私が医療ガバナンス研究所を知ったきっかけは、私の父の友人であり、アテネ五輪自転車競技銀メダリストの長塚智広さんに相談したことからだった。アメリカのカリフォルニア州に留学中の私は「夏休みの3か月間帰国するので、この期間に何か成長できるようなことや、そのような場所はないですか?」とラインで相談をしたことがきっかけでした。
長塚さんは、「それなら一度上先生をご紹介するので、ご指導をいただけないか相談してみよう。上先生は医療の分野だけでなく。広範な知識と世界的なネットワークをお持ちなので、櫻井君のような世に羽ばたきたいが周りに理解者の少ない、ある意味悩める子羊の成長に大きな刺激をいただけるのではないか?」とおっしゃいました。そして私は上先生を知るために先生の書かれた本や出演されたYoutubeなどをほぼ全て目を通し、そして医療ガバナンス研究所のインターンのぺージに「医療ガバナンス研究所の目標は、世界と戦える若い人材を育てることです。」という素敵な文章を目にして、是非先生にお会いさせていただきたいと思い長塚さんに「是非先生のもとで修行をさせていただきたいです。」という電話をしました。
こうして、私はアメリカから帰国した夏休みの初日に長塚さんと共に高輪にある医療ガバナンス究所を訪れ上先生と初めてお話をする機会をいただきました。
この日の会話の中で私が一番印象に残ったのは、先生が「なぜ区長選挙では、国政選挙や都知事選挙のように政党が前面に出ないのか?」と問われた時のことです。
私はその問いに対して素直に「分かりません」と答えました。すると、先生は一言「ヒントは歴史だよ」とおっしゃいました。
私は最初になぜ区長選挙では、国政選挙や都知事選挙のように政党が前面に出ない理由が良く分かりませんでしたが、粘り強くまた何個かヒントをいただく中で、市町村と都道府県での違いとは何かについて考えました。
市町村は自然発生的に形成された地域共同体であり、その運営は地域住民との密接な関係によって行われている一方、都道府県は中央官庁の一部として設立された行政組織であるから都道府県知事は官僚出身者が多く政党の支援が重要な要素となりやすいためではないかと考えました。
この考えがあっているか間違えているかはさておき、このような事を考える機会や学ぶような出来事は高校生にとってはなかなか無く、なぜ長塚さんが「それなら上先生の下で学ばせていただくべきだ」と強く勧めてくれた意味を理解しました。
上先生から最初に頂いた宿題は研究室がある高輪の歴史や重要な場所を自分の足で歩き体験してレポートを書くというものでした。今回のインターンでは調べて体験して書くということをひたすらに行いました。
さらに、上先生から直接レポートの指導を頂いたなかでも特に印象に残っているのは、「ファクトがないねん」というお言葉です。つまり、私の文章には具体的な内容や事実が浅い、無い。ファクトに基づいており伝えるべき重要な情報は、具体的で汗を流して得た体験を通じた実際のデータや観察、事実といった中身のある文章であるということなのだと言うことです。ですが、インターンの初期や中期の私はまだその「ファクトに基づいた文章」を書くことができていませんでした。
私は小中学生の頃から文章を書くのが苦手であり文章を書くことに対してのコンプレックスのようなものを持っていました。しかし、上先生から「見て盗むことが重要だ」と指摘をいただき、先生が執筆された新聞や雑誌や論文を読むことで、どのようにして中身のある文章を書くのかを学びました。また研究所で上先生の書かれた文章をコピー機で取り込みをするお手伝いをさせて頂いたので盗んで学ぶという気分としては見習いのコックが師匠の調理した後のフライパンに付いたソースを舐めるような感覚でした。
また先生から読みなさいと言われた本も大変参考になりました。
「胡蝶の夢」「陽だまりの樹」「冬の派閥」「花のれん」
そして必死に学ばせていただく中で、MRICにて私が書いた文章を投稿させていただくチャンスをいただきました。
それから私は、自信を持って文章を書くことができるようになりました。この成長は、いただいた教えと上先生と研究室の皆様からの御指導のおかげです。
インターン中に私が進んで行った事
それはお茶だし、研究所の清掃、気配りです。日頃お世話になっている研究室の皆様やご指導をいただいている先生に何も経験もない高校生の私でも、何かの役に立てる事、それは野球生活で培った掃除力と気配りであり、目に見えるところはもちろん目に見えないところの隅々まで力と気持ちを込め磨き上げたり、お飲み物が無くなりそうになったらお次に何を飲まれるかを聞いたり、靴とスリッパを揃えたり、というようなことだと思いました。そして1の指示があれば2や3以上の事をする!と意識するようにしました。
新宿駅前で行ったティッシュ配布
今回、もう一つ力を入れた活動の一つに、ティッシュ配布があります。この活動は他のインターン生や大人たちと協力をして行った活動です。私は個人結果として二日に分けて合計約2時間30分で約650枚のティッシュを配布いたしました。
私は一人ひとりに対して誠意を込めて向き合い、丁寧に頭を下げてティッシュを配布し、その過程で数千人以上の人々に声をかけましたが、その多くは受け取ってもらえませんでした。しかし、断られることにめげずに人々の表情や反応を観察して学んでそれぞれ異なる相手に対して適切なアプローチを取ることに努めることにしました。特に意識したのは「どう工夫すれば他の人たちよりも圧倒的な結果を出せるか」ということです。
考えた結果、人によって異なるアプローチが大切で相手の目と合ったほんの0.1秒の間に次の行動を決める。この短い時間の中で最善策を導き出すことが、この活動で成果を上げるための鍵だと感じました。
年配の方々には、笑顔で深く頭を下げるとほとんどの方が心よく受け取ってくれた一方で、若い学生にはやや難しさを感じました。特に男子学生には少し軽いノリで話しかけると反応が良いが基本は受け取ってもらえず、逆に女子学生にはあまり強い存在感を出さず、控えめに差し出すことで受け取ってもらえることがありました。また、中年の働く層には、さわやかな笑顔でまずお疲れ様ですと伝え、汗が見える薄い青のシャツを着て頑張りを目に見える情報として与え誠意を伝えようとしました。また、子連れのお母さんには、まずお子さんと同じ目線まで腰を下ろしてティッシュを渡し、その後は「お母様も、もし良ければ」と言って手渡すというように少し工夫したアプローチを行いました。
今回のティッシュ配布を通じて、私は世界一の乗降客数を誇る新宿駅の前に立ち、社会の人々の流れを間近で目にして活動する機会を得ました。その中で、私は「自分もこの大きな社会の一員である」という実感と同時に、「ただ埋もれて終わりたくはない」という強い想いが芽生えました。ティッシュ配布という、この経験が私にとって社会の中で自分の道を切り開く一歩となるのだと信じて必死に取り組み、直感的な判断力や柔軟な対応力が身につきました。
たかがティッシュ配布かもしれませんが、社会の波の中で揉まれながら人々と直接接することで得られる学びは想像以上に大きく、これこそ本物の経験だと思います。
最後に
私が思う上研究室は人と人が繋がり巡り合い心から成長できる場所です。
研究室は高輪にあり、かつて外国の大使の方々が住んでいたアパートメントの2階にあり、広さでいうとテニスコート半面ほどのこの研究室には、某有名大学の教授や大企業の関係者、政府関係者、政治家、旧華族、元メジャーリーガーといった各界の著名な方々がよくいらっしゃり、高校生の私とも気さくに話をしてくださいます。時には冗談を交わし、時には真剣な質問にも丁寧に答えてくださり、時には大笑いすることもよくありました。
そして、その後には連絡先を交換させていただくという普通では考えられないような貴重な体験を何度もしてきました。また、そこで仲良くなった方々から、新たに面白い人を紹介していただくこともあり、その出会いを通じて自分の人脈が広がると同時に、自分の進路に対する考えや、将来のビジョンまでもが少しずつ変わっていきました。
また、先生は政治家先生との視察や先生のお友達さん達との会食にもよく私を連れて行ってくださりました。普通の高校生である私がそういった機会に直接参加できたことは大変光栄な経験であり、また会食の料理屋さんに向かうときに先生の横を歩いているときは、まるで先生の付き人になったかのような気持ちになり、その時間はとても楽しく、忘れられない思い出となっています。
そして、先生はよく「お世話になったらお礼のメールや感謝の気持ちは必ず伝えなさい、これができるのとできないのでは大きく違うよ。」と私に教えてくださいました。先生からは、礼儀や大人としての在り方、大人としての立ち振る舞い、場の作り方、作法、スマートな話し方というのを先生の側で見て感じて学ぶことができました。
最後に、今回のインターンを通じていただいたご縁、そして皆様からいただいた温かいお言葉やご指導に心から感謝いたします。私は、社会に貢献できるような人間になるべく、引き続き精進を重ねていきたいと思います。また日本に戻った際には少しでも成長したご報告をできるようにご挨拶に伺いたいと思います。これからも末長くご指導、ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
そして、上先生や研究所のスタッフの方々には特別に温かい愛情やご指導をいただき、いつも可愛がっていただきましたこと、心より感謝いたします。本当にお世話になりました。

Parkland secondary school G10(カナダ・ビクトリア島)
田中 天
研究所にきたキッカケ
研究所のインターンに参加したキッカケは母の紹介でした。母と上先生が元々知り合いで、母が研究所の存在を知っており、上先生を紹介していただきました。私は普段から身近に感じていた医療を研究所という新たな形で触れられることはいいターニングポイントになるのではなかなと思い研究所でのインターンを決めました。
研究所での活動
私はなにかテーマを決めて研究をしてみたいと思っていました。ですが、明確なテーマも決められず始まったインターンで、私がアイヌ文化に興味があると面接時に言うと、「じゃあ、行っておいで」と上先生に言われ、最終的に面接の約2週間後に北海道に行きました。北海道へ行く前もインターン生で新宿探索に行き、その体験を新聞に書いたり、新宿のルミネ前で新宿ナビタスクリニックの宣伝の一貫で週一回のペースでティッシュ配りをしました。元JALのCAの早川さんのレクチャーにも何度も楽しく参加させていただきました。
北海道研修へは三泊四日で行き、体験したことや感じたことをまとめて発表をしました。この研修では、人に助けてもらうありがたさを痛感しました。計画通りにはいきませんでしたが、一人で見知らぬ土地で旅行を成功できたことが私にとっては大きな自信と成長に繋がったと思っています。
北海道研修後も、上先生のご紹介で看護師の方や、建築家の方、その他にも上先生のお知り合いの方を沢山紹介していただきお話を聞きました。上先生の人脈に驚くと同時にお会いした方々の経歴や経験そして、挑戦していることを聞き圧巻されたのを覚えています。
川崎の施設見学へ行く機会をいただいた時は神奈川県議会議員の小川くにこさんに案内していただきました。施設見学では普段見れない場所などを見学し、その後、川崎競馬場で初めて競馬を見ました。初めて行く場所で、初めての経験したこの日はとても印象深く残っています。
週一回開かれるプラチナ勉強会にも三回参加さていただきました。その中でも、元JALのCAさんの勉強会がとても印象に残っています。人と接する上での思いやりを体験談とともに話をしていただきました。日々初対面の方と接してきたからこそ説得力があり、みなさんが思いやりの心をお互いに、そしてお客様に持っているからこそ一体感があるのだなと感じました。
一ヶ月を通して感じたこと/思ったこと
私はこの1ヶ月間で様々なことを学びました。学ぶことにおいて、現地へ行ったり現状を知ることが大切だということを教えていただきました。私は北海道へ研修に行ったときに強くそう思いました。なぜなら、私が日本で受けてきた歴史の授業では取れ上げられていなかったアイヌの魅力的な文化やアイヌの人々が経験した差別などが資料として残っていたからです。日本には多種多様な文化があり、北海道も例外ではありません。北海道では縄文時代から擦文時代(奈良・平安・鎌倉時代)の遺跡が多く発掘されているにも関わらず、全く授業で取り上げられていなかったのはなぜだろうと不思議に思いました。実際に北海道に足を運ばないと私は現状を知ることもなかったと感じました。
まとめ
私は日本にいるからこそ現地に足を運び実際に自分で見て学べること、そして実際に現地に行くにあたって歴史などを本やインターネットで調べることに対してに充実感を覚えました。私はあまり歴史などには興味がありませんでしたが、日本の歴史をより深く知っていくなかで、歴史の面白さに気付かされました。私は研究所で色々な方と会う中で気の配り方を学べたことも成長に繋がったと感じました。そして、新しい土地でも出会いを大切にし、これからも知識を付けていきたいと思います。


インターン生仲間と新宿でティッシュ配り
元JAL CA 早川さん勉強会にて

秋田大学 医学部
坂田 捺哉
現在、私は医学生として、医療ガバナンス研究所の理事である尾崎章彦医師のもとで「利益相反」に関する調査を進めています。「利益相反」は日本での実態がまだ十分に明らかになっていない分野の一つであり、近年多くのニュースがこの問題を取り上げ、世間の注目を集めています。
私が尾崎医師と出会ったのは、大学の先輩の紹介がきっかけでした。尾崎医師は多くの分野で第一人者として活躍されており、その研究内容は非常に興味深いものばかりです。尾崎医師のご紹介で、オーストラリアの専門家との会議に参加したり、英国のバース大学に留学する機会をいただいたりと、大変お世話になっています。
医療ガバナンス研究所にも何度か訪問させていただきましたが、いつも温かく迎えてくださり、懇親会では貴重な知見を得ることができました。研究所にいるだけで、すべての瞬間が学びの場です。尾崎医師をはじめ、多くの著名な先生方とお話しする機会をいただき、私にとってかけがえのない経験となっています。
医療ガバナンス研究所での研究活動は非常に貴重なものです。他の研究機関と異
なり、海外の専門家と容易に連携できる点が大きな魅力です。各研究者が豊富な
コネクションを持っており、自分が興味を持つ分野の第一人者と直接つながるこ
とができるのです。これは他に類を見ない特徴だと思います。実際、私もシドニ
ー大学やバース大学の先生方と交流し、共同研究を進めることができています。
海外に興味のある私にとって、非常に有意義な時間を過ごさせていただいていま
す。今後とも、国際的な交流を深めながら、医療ガバナンスに関する多岐にわた
る調査を進めていきたいと思っています。

第2回製薬マネーデータベース公開記念シンポジウムでの発表

佐賀大学 医学部医学科四年
中橋 高帆
飛び込みインターン生の奮闘記
1. 医療ガバナンス研究所に来たきっかけ
私が医療ガバナンス研究所でインターンをさせていただくことになったきっかけは、研究所のホームページを拝見したことです。しかも、インターンのページをいつの間にかブックマークしていました。これはインターンに実際に申し込むはるか前、おそらく大学1年生のころに行ったものと思われます。当時の私は友人の影響で、インターンというものに関心がありました。そこで地元の県議会議員の先生にFacebookでご連絡を差し上げるも、「現在は募集していません」とのことで別の当てを探し始めました。その過程で研究所のホームページと出会い、ブックマークしたのだと思います。
実際に応募したのは、昨年10月、春休みをどう過ごそうか思案していた時でした。これまでの大学の春休みは多くの時間を鉄道旅行に費やしてきましたが、今年は何か新鮮な体験をしたいと思い、再びインターンのことが頭に浮かびました。比較検討した上で最終的にこちらに決めた理由はどのような方々がいらっしゃるのかが比較的明確であったからです。インターンの体験記をお読みしても様々な学生の方がいらっしゃり、開かれた雰囲気も感じました。応募には勇気が必要でしたが、試験直後の解放感に身を任せて応募させていただきました。
2. 医療ガバナンス研究所でのインターンの出来事や思い出
最も印象に残っている出来事は、初日の夜の会食です。この日は、理事長の上昌広先生と、成田市に関係する方々との集まりでした。私はあまりの浅学ぶりにインターン中毎日のように上先生から「まだまだいっぱい勉強しないといけないねえ」と言われたものでしたが、この日の会食で飛び交った単語(※)は半分以上が初めてお伺いするものでした。あまりに衝撃的だったことを鮮明に記憶しております。
※参考までにその日の検索履歴の一部を以下に列挙させていただきます。
瀬島龍三、岡野俊一郎、紀尾井坂、鳥越俊太郎、加賀乙彦、おきや、塩崎潤、
石田三成、石井健一、林芙美子 放浪記、如水庵、肥後もっこす、井伊直政、
船井総研、江藤新平 首 写真、明治維新 佐賀 法務大臣、児島惟謙、
伊達藩 イネ、もく星号墜落事故、稲盛和夫、重信房子、熊野寮、
加藤登紀子(敬称略)
思い出に残っているのは研究所での何気ない時間です。お昼ご飯は出前を取っていただいた
り、台所で皆さんと作ったりして楽しくいただきました。長机に先生方も含めて集まっていた
だくのは、小学校の給食を思い出すようで懐かしい気持ちになりました。また、秘書の方々に
はとても親切にしていただきました。研究所の壁に掛けられた絵について尋ねると、作者の方
や展覧会の情報について、詳しく教えていただきました。インターン中の予定についても柔軟
に対応していただき、「無理してない?大丈夫?」と温かいお言葉が大変嬉しかったです。
3. 医療ガバナンス研究所での活動
インターン中の活動は一言でいうと「体験する、調べる、書く」これらの繰り返しでした。
それぞれについて説明いたします。
まず、「体験する」では、これまでお会いしたことがないような方々との面会・会食や異郷への訪問の機会をいただきました。たとえば、政治家の方や自衛隊の方、五輪メダリストの方、ほかにも多くの経営者の方々とお会いしました。また、成田市や福島市、いわき市を初めて訪問させていただきました。
次に、「調べる」では、前もってお会いする方のご経歴を調べたり、ご著書を読んだりしました。他にもお伺いする土地の歴史について調べたり、会話の中で知らなかった言葉について調べたりしました。お話の中で自分のルーツである佐賀や母校について知らないことが多いと気付かされ、それらについても歴史や経済など様々な角度から深掘りしました。
最後に、「書く」では上記のように体験したり調べたりしたことを文章にまとめ、発信させていただきました。日々のFacebookでの活動報告をはじめ、福島を訪ねた経験については新聞に投稿いたしました。
4. 医療ガバナンス研究所で学んだこと
約1ヶ月間、「体験する、調べる、書く」を繰り返し、多くの学びを得ることができました。以下に記述いたします。
1.)歴史を学ぶこと
インターン前は歴史を学ぶことに対してつまらないと思っていました。
それは、現在と過去を切り離して考えていたからだと思います。
しかし、現在に残る痕跡から辿り歴史を学ぶことで過去と現在の間に
つながりを見出すことができ楽しく感じました。
たとえば、研究所近くにある高輪大木戸。江戸時代、江戸の南の入り口
として治安維持と交通規制の役割を果たしていました。再開発真っ只中の
今、側を行き交うのは通勤客ばかりですが、かつてこの周辺は旅人やその
送迎客で賑わったそうです。再開発によって高輪の歴史が注目され、再び
観光客で賑わう様子を想像するとわくわくしました。
2.)ファクトを基に思考すること
インターン中、新聞や雑誌に投稿させていただく文章を書く機会が複数ありました。その際、上先生には「ファクトをベースに議論する」ことをご指導いただきました。福島を訪問した経験を文章にしたことがありましたが、現地のどなたがどんなことをおっしゃっていたか、具体的なエピソードから自分が伝えたいメッセージを導きました。そして、思考する際には自分の引き出しを増やすために幅広く学ぶこと、自分を形作る地元の歴史などのルーツについて深掘りすることが重要だと学びました。これらがないと一般論に終始してしまいます。「国なんてものはない」と上先生はよくおっしゃっていました。「国」ではなく、突き詰めれば「人」がいるということです。大きな主語を使うのではなく、具体化することでものごとを整理して認識できると思いました。私も大きな団体名を主語に使い現状を憂えることがあったと反省しました。
3.)人とのご縁を大切にすること
インターン中、お会いした方には必ずお礼のメッセージを送ることをご指導いただきました。お忙しい中メッセージに目を通していただき大変恐縮でしたが、どのお方も「がんばってください」、「何かあればいつでも言ってください」と暖かい言葉をかけてくださいました。
実際上先生もこれを徹底されているそうで、インターン中にお会いした方が上先生について「一回パネルディスカッションでお会いしただけなのにメールをくださった」と語られていました。インターン中様々なエピソードをお伺いしましたが、東日本大震災の際に行われた透析患者のバス輸送など、人のご縁なくしては成し遂げられなかったことばかりだと思いました。
5. 医療ガバナンス研究所でのインターンを考えている学生に一言
インターン期間中は初めてお会いする大人の方に囲まれることが多いです。そんなとき、研究所の同世代の方との交流は肩の力を抜くことができる貴重な機会でした。皆さんがインターンの「先輩」に相当し、私がインターン中に取り組んでいることを過去に経験されていらっしゃったため、良き相談相手となってくださいました。私もこれからインターンをされる方を歓迎しますし、力になりたいと考えております。研究所でお待ちしております!
最後になりましたが、上先生をはじめとする医療ガバナンス研究所の皆様及びインターン中お世話になった皆様に厚く御礼申し上げます。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

インターン初日の会食にて

研究所にてティータイム
